徳之島の小学校 訪問まで①

徳之島訪問までの経緯を書きます。

 

不登校になったのは、現在小5のうちの長男です。

18年10月の小学校の学芸会で、学年合同の歌がしんどく、学校を休んだり、歌だけ休んで保健室にいたりしました。

本人曰く「気持ちを込めて」とかの「どうすればわからない指導」や、連帯責任みたいな空気がつらかったそうです。

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学芸会後は、学校に行けていたので、気を抜いていたが、

19年3月から、学校に再び行けなくなる。
この時は、半日で親が迎えに行くのを繰り返した。

19年4月も同じ感じ。何とか無理やり、半日でも学校に行かせていた感じ
今考えると、申し訳ない事をした。
不登校の子のゴールは、「学校に行かせること」ではなく、「その子の選ぶ勉強の仕方、頑張れる道を探す事」である事に、まだ考えが至っていなかった。)

 

その後のGWで、そのストレスが溜まったのか、親とも口をきかず、暴れる事件発生。

うちは、マンションの6階だが、突発で飛び降りたりするのではないかと心配で、急いで、ホームセンターに、簡単に窓を開けれないようストッパーを購入。

次の日から、伊豆に家族旅行だったが、それも子供は「行かない」の一点張り。

子供の不満の中に、今まで結局、「親の言うとおりにさせられる」というのがあったため、「2泊3日家で自由にする」事に決め、我々3人(私、嫁、長女小2)は、伊豆に旅立つのでした。

②に続く